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助成対象詳細(Details)

   

2013 国内助成 「一般枠」 活動助成      
助成番号
(Grant Number)
D13-L-0047
題目
(Project Title)
日本現存最古の国産自転車「三元車」の復元による風評被害払拭と被災者交流事業
代表者名
(Representative)
渋谷 浩一
代表者所属
(Organization)
三元自転車復元プロジェクトチーム
助成金額
(Grant Amount)
 2,500,000
企画書・概要 (Abstract of Project Proposal)

三元車は明治9年に福島県桑折町で完成し、その後4人乗りが開発されて地域交通の役割を果たした。明治14年の内国勧業博覧会では、乗車した板垣退助氏より開発製造の激励を受けたといわれる。現在はトヨタコレクションとして、トヨタミュージアム産業技術記念館に収蔵されている。平成21年に同館のご厚意により三元車を1か月間拝借し当町で展示会を開催、あわせてそのレプリカ製作を町内有志によって実現展示したところ、5千人余の観覧者があり、地元の人心活性化に寄与することができた。町内では、宿場町の風情を生かしつつ、三元車を活用したまちづくりを推進していたが、東日本大震災により多くの歴史的建物が消失するとともに、原発事故による多大な風評被害を被り、街なかの寂れに非常に苦しんでいる。このような中、日本大学理工学部の協力により本年、三元車4人乗りの図面が完成した。今後、浪江町からの避難者の参画も得てその復元を行い、ベロタクシーとして活用する等、地域固有の貴重な財産・資源を生かした地域再活性化と新たなコミュニティ形成に寄与していくものである。

実施報告書・概要 (Summary of Final Report)

江戸時代が終焉し明治を迎えると唯一の交通機関であった馬や駕籠から人力車・馬車・蒸気車の時代となった。国内における現存最古の国産自転車といわれる「三元車」は、明治9年に1人乗り(自走者・大河)、明治12年に2人乗り(自在車)、明治13年に4人乗り(奔走車)が完成し、地域交通の役割を果たした。発明者は福島県伊達郡谷地村(現・桑折町)の鈴木三元氏である。三元氏は幼少の頃から頭脳明晰、鋭敏にして人間愛、郷土愛が豊かであったという。昨今言われている「ベンチャー・ビジネス」の先駆者であり、夢とロマンに満ちた明治初期のパイオニアであった。
明治14年に東京上野で開催された内国勧業博覧会に1人乗りと2人乗りの「三元車」を出品して評判となった。当時の政治家である板垣退助氏を乗車させて上野不忍池を一周した際には、同氏より開発製造の激励を受けたといわれる。
三元氏は、交通機関が国民生活に密接な関係を持つことを痛感し、世のため、国民のため、現在の乗合バスやタクシーのような公共交通機関を夢見、これまでの乗り物の弱点を克服し、省力でより高速に移動可能な新しい乗り物を創作して国恩に報いたいという理想に燃えたという。そして、1人乗りとは全く異なる駆動輪をもつ4人乗りに挑戦したものと考えている。
1人乗りは両足でペダルを交互に踏み込み、テコとクランクを働かせ後輪を駆動させる仕組みで、それまでの自転車発展史でも例を見ない独創的な仕組みを考案したのであるが、4人乗りはお客さんを乗せて走行するために、登り坂などで停車した場合にクランクでは後ろに下がってしまうため、「イナヅマ棒」という独自の駆動輪を考え出すとともに、方向変換輪を追加しハンドル代わりにするとともに、極狭小な場所でも旋回できるような仕組みにしたものと考えている。復元製作にあたっては、当時撮影された一枚の写真からプロジェクトチームでは色々な技術を創造するするとともに、製作過程を記した作者の日誌「三元日誌」を読み解きながら製作に取り掛かった。
1人乗り三元車は現在、トヨタコレクションとして、トヨタミュージアム産業技術記念館に収蔵されている。その三元車で使用された鉄材や木材を参考にしながら4人乗り三元車を復元した。
また、町内では、宿場町の風情を生かしつつ、三元車を活用したまちづくりを推進していたが、東日本大震災により多くの歴史的建物が消失するとともに、原発事故による多大な風評被害を被り、街なかの寂れに非常に苦しんでいる。このような中、日本大学理工学部の協力により、三元車4人乗りの図面が完成した。今後、浪江町からの避難者の参画も得てその復元を行い、ベロタクシーとして活用する等、地域固有の貴重な財産・資源を生かした地域再活性化と新たなコミュニティ形成に寄与していくことを目標に掲げ、今回は4人乗り三元車の製作を実現することができた。
 

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